つまり、あの世もこの世も「リアルになる」ということです。
今までの考えが「あの世は死んだら行く世界、生きてる私には関係ない」だとしたら
「あの世は生きている間もそばにあって、この世と同じくらいリアル」ということ。
で、わたしの言うあの世って神様のいる場所のことなんですね。(幽霊じゃなくてね)
で、神様って言うのは極楽浄土に行く時に迎えに来てくれる存在ってだけじゃなく、
人間が生きている間も常に守ったり側にいてくれたりするんですよってこと。
みんな、忙しすぎて忘れていたり自分には霊感ないから関係ないとか思ってたりするけどね。そして、霊感あるか否かはまったく関係ないんだな、これが。
そこにお箸がある、隣にお茶碗がある、てくらいのリアル。
霊感なんてなくったって、見えなくたって感じなくたって
あるものはあるんだもん
てこと。
たとえ今どんなに苦しんでようが悲しんでようが絶望してようが貧乏かろうが孤独だろうが無宗教だろうが見えないものなんて絶対ないと信じていようが人を非難していようが犯罪してようが、たとえ今平穏かろうが喜び溢れていようが大金もちだろうが楽しかろうがキリスト教だろうが仏教だろうが霊感ばりばりだろうが、人が大好きだろうが、あんな奴死ねって叫んでようが、世界大好きだと叫んでいようが、
関係ないんです。
最近は確かに次元のヴェールが薄くなってきたので(つまりあの世とこの世の境が薄くなってきた)、思ったことが現実になる速度は速くなったように(4回転ジャンプを飛ぶ人もいっぱになったでしょ)、みんなうすうす、自分には関係ないと思っていたあの世が以前よりリアルに感じられるようになった。
さらに、「死=この世からいなくなること」という短絡的な考えから「この世からあの世への旅立ち」という「生としてのリアル」として受け入れられ始め、スピとか宗教とか全く関係なく、ただただひとりひとりにとって当たり前の現実として動き始めたということ。
わかるかな?
さらにすごいのは、天が、死期が近づいた人だけじゃなく、まだ寿命の長い人にも恩恵を与えているということをリアルに公表したところ。それも、人のあらゆる観念を超えて。
「神仏は生きている人にも恩恵を与えている」というリアルは、どれだけの人を救うのだろう?
そして「わたし〇〇明王のお札持ってる♥お守りにしよう」といったその瞬間から、すぐそばに 、あなたの横に、明王が立ち、守っているリアルに、一人一人が早く気づけばいいと思う。
さらに言えば「守ってくれる」という本当の意味に気づいたとき、天=神の愛の大きさにおののき、(もしかしたら受け止められないかも)己の存在の尊さに、頭を垂れることになるだろう。