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誰そ彼~逢魔ケ時に出逢ったもの

昨年大流行した映画「君の名は」の中で「黄昏」という言葉が出てくる。

別の言い方で「逢魔ケ時」。昼と夜の入れ替わり、交わりの時は、この世とあの世の扉が開き、

本来相いれないもの同士が出逢うことがある。

 

そしていうのです。

 

「誰 そ 彼」(たそがれ)

 

あなたは誰?

 

30代初めのころ、逢魔ケ時が好きで、よく空を見ていました。

橙の夕焼けが漆黒に変わるまでのわずかな時間、深い濃紺が空一面を覆う。

 

その日、わたしはある不思議体験をしたのですが、まさにそれは

「誰 そ 彼」

でした。

 

あなたは何者ですか?

 

と問われたのでした。

 

以下、体験日記から引用します。

 

 

その頃は、逢魔ケ時が好きだった。

日が暮れ、夕焼けが終わり暗闇が訪れるまでのわずかな時間、空は深い深い青になる。

「魔に出逢う」と言われる昼と夜をつなぐこの時間、わたしはなぜかとても安らいだ。

 

 その日も、仕事を終えて帰宅したわたしは部屋の中でぼーっと立っていた。

(電気もつけずに)

「ああ、いい気持ちだな・・・・」

とてもリラックスし、無心に、ただ部屋に立ち尽くしていた。

 

ふと、おへその辺りに違和感を感じる。

見ていると、そこから白い小さな光の玉が飛び出した。

ほえー、何だ、コレ・・・・?

さらに見ていると、光の玉は次々出てきておなかから30センチくらいの宙に丸い円を形作ってゆく。

 

この球はアイデンティティーだ、と思った。

「わたしは女性である」「わたしは東洋人」「わたしは〇〇という名前」「わたしは絵が得意」という

自分を形作るアイデンティティー。

やがてすべてのアイデンティティーが私の中から出尽くし円が完成すると、光の輪は回転を始めた。

ぐるぐると、右回りで、わたしの周りを回っている。

 

面白ーい。

 

なすがままにほえーと眺めていると、やがて光は回転スピードを緩め、今度はさっきと反対に

光の玉がひとつずつ自分の中に(おへその辺り)還ってゆく。

最後の光の玉が戻ってしまうと辺りはとても静かになり、わたしはしばらくぼーとしていた。

そしてふいに思った。

 

「人は生まれてくる前何かを約束してくるのだけど、この世に生まれた瞬間にそのことを

忘れ、けっして思い出せないのだということだけ思い出した」

 

アイデンティティーがすべて抜け、何者でもない「ただのわたし」になった瞬間、生まれる以前の

何かにアクセスしたのだろう。大好きな逢魔ケ時のやわらかい時間が、それを可能にしたのかもしれない。

 

気が付くと辺りは漆黒の暗闇。逢魔ケ時は終わっていた。

 

 もし今、逢魔ケ時の住人に「あなたはだれ?」と聞かれたら、わたしはこう答えるでしょう。

 

「わたしは、わたし(魂)だよ」と。

 

本当は性別も国籍も名前も身体さえないわたし。

 

 

ある日誰かがあなたの顔を覗き込み、

 

「誰 そ 彼」

 

と、

 

聞いてくる日がくるかもしれませんよ。