· 

人は立派すぎて・・・

人はあまりに性能が良すぎて、全員に合った取扱説明書は無いのだと思う。

 

世界最高水準のコンピューター「京」なんかよりよっぽど優秀で面白くて謎に満ちているのが人間なのだもの。

 

他人のやり方も、少しはヒントになるかもしれない。でもだんだんずれていくのは、その人がなってないのでも悪いのでもなくひとりひとりがあまりに素晴らしい存在すぎて、みなに合う取説は存在できないのだと思うな。

 

だからね、人生は「わたしの取扱説明書」を創り作業でもあると思う。

でね、面白いのは、それを創る材料もヒントも、すべて自分の中にあるってこと。

で、それは自分だけで探求してもいいんだけど、外のものとガチンコすることで

化学反応が起きて、もっと面白いものが見つかったりする。

 

そう思ったら、自分の魂に従うのがいちばんの近道だとわかる。

人はあまりに立派すぎる。

だって宇宙だからね。

そして、神さまだからね。

でも、気づいちゃったらあまりに面白くないでしょう?

苦労することさえ楽しみたいくらい、完璧すぎる、そんな宇宙の一部だからね。

 

そして細胞みたいに、現在も過去も未来もつながって、すべては共鳴しあってる。

情報交換しあってる。

みんな、どんなに孤独になりたくても一人にはなれないくらい、素晴らしすぎる存在なんだよね。

 

だから、どんな人も、「人である」ことを楽しんでる。喜んでる。

苦しい人は「苦しい」って項目の取説を創っているってだけなんだ。

自分という人間は、「苦しいとき、こんな反応をするんだな」って。

人生はステージでいつも本番だからドキドキする、本気でつらい時もある。

病気になれば苦しい、ケガをすれば本気で痛い。

でも、幕間で休憩したり、仲間としゃべったりもするでしょう?

すべてはステージで、それをやりにきてるだけなんだ。

でね、自分が世の中のすべてをわかるわけでも経験できるわけでもないから、

自分は〇〇できなくて、と卑下する必要は全然ないんだ。

そしてね、自分の経験したことを教えあえばいいんだ。

知りたいことを教えあえばいいんだ。

WINWINてそういうこと。

 

そしてね、自分は経験できなくても「こう思う」って、言っていいんだ。

その人とその人の意見は別物なんだ。

そういう意味でも人は自由。

思ったことは言っていい、言わなくてもいい。

 

どんな人が何をつぶやいてもいいのがツイッター。

それが証明された出来事だと思う。

 

もう、縮こまらなくていいんだ。

自由に生きていいんだ。

尺度はないんだ。

世界が市場どころか、あの世すら門を開いたんだ。

そのぶん、ベクトルは決めて「こうなる」って宣言したほうがいい。

ゾクゾクするね、とりはだたつね!

楽しいね! 

声優さんに自由にお仕事依頼できる、隣町の高校生グループだって依頼できる時代なんだ。

楽しいね、うかれちゃうね。

生きててよかったね!