「臨床宗教師」の記事を読みました。
余命宣告された患者さんにスピリチュアルの視点から寄り添うという、まったく新しいお仕事だそうです。
死ぬことの恐怖とは「死んだらすべては終わり、自分もいなくなってしまう」という暗闇の気持ちですが、そこに寄り添い「死んだ後も次の世界(極楽)があるから大丈夫」と気持ちが変化することによって死に対する恐怖を取り除き、安らかな死を迎えるお手伝いをする。
画期的だと思いました。宇宙はあっという間にここまで門を開いたのかと驚きました。
しかも特集としてとりあげたのがNHKというところ、さすがだわ! と思う。
(わたしはNHKびいきです 笑)
以下抜粋です
入院から9日後。
体調が悪化する中、松岡さんは自分が見た夢のことを話し始めました。
「たぶん阿弥陀(あみだ)さま。
私が見たの阿弥陀さま。」
娘 歩さん
「前に夢に出てきたお釈迦(しゃか)さま?」
松岡君子さん
「お釈迦さま。
みんなが後ろに立ってるから、きっとみんな私を。」
臨床宗教師 野々目月泉さん
「いっぱい立ってました?」
松岡君子さん
「一体となってね。
パワーが光っていたと思う。」
“お釈迦さま”や“光”という言葉を、野々目さんは死を迎える準備が始まったサインと受け止めました。
患者が死後のイメージを持つことは、穏やかな死につながる重要なプロセスであることが学術的な調査でも明らかになっています。
死に直面して、恐怖や不安を抱く人の場合、死の先は暗闇、死ですべてが終わると考えていることが多いといいます。
一方、天国、極楽に行ける、光が見える、故人と再会できるなど、なんらかのイメージがある場合は、死によって命は終わらないのだと考えることで穏やかに最期を迎えられるというのです。
宗教関係なく、というのもすごいと思います。
天の意思を、その垣根を、ついに超えたか人間! という気がします。
(実際、天に宗教というものはなく、洋の東西を問わず同じ場所に現れたりします)
そして、私の仕事も似ているのかもしれないなあと思いました。
わたしは人さまに寄り添うなんてとてもできないけれど、今やっている仏画やセッションは
「あの世、見えない世界というものが確かにあるんだよ~」と伝えることだと思うから。
それがセッションかろうが仏画を通じてかろうが、お話会かろうが手段はどれでもよくて。
いろんな人や手段を使って、天は新しい時代の門を開いている、と実感いたしました。
わたしは天然で↑のような考えなのですが、この「自分にとっての当たり前」が誰かの役に立つと
いいなと思います。
2013年に「自分の使命を軽んじてはならない、もっと重要なものとして捉えなさい」と
いうメッセージをいただいているのだけれど、こういうことかもしれないと実感しました。
コメントをお書きください